どうなん海道サイクルルートとは、北海道南端の渡島半島全域を舞台に、函館・松前・江差・奥尻島を結ぶ総延長約459kmのサイクリングルートです。このルートの最大の特徴は、函館を中心とした東ルートと松前・江差を巡る西ルートが交差し、さらに日本海に浮かぶ奥尻島を含めることで、地図上に巨大な「8の字(インフィニティ)」を描く独創的な設計にあります。津軽海峡・日本海・噴火湾という三つの異なる海に面しながら、幕末の歴史遺産やアイヌ文化の息吹、北前船交易の繁栄の跡をペダルを回してたどるこのルートは、日本屈指のサイクルツーリズム資源として大きな注目を集めています。
本記事では、どうなん海道サイクルルートの全貌を、函館エリアから松前・江差エリア、そして奥尻島まで、各エリアの歴史的見どころや走行環境、グルメ情報とともに詳しくご紹介します。初心者から上級者まで楽しめるルート構成や、トンネル走行時の安全対策、補給計画のポイントも含め、8の字サイクリングの魅力をお伝えします。

どうなん海道サイクルルートの全体像:「8の字」に込められた壮大なルート設計
どうなん海道サイクルルートは、3つのセグメントから構成される壮大な周遊ルートです。東ルート、西ルート、奥尻島ルートのそれぞれが異なる風景と走行難易度を持ち、サイクリストは自身の体力や興味に合わせてセクションごとに楽しむことも、数日間かけて全ルートを踏破することも可能です。
| ルート名 | 距離 | 主な特徴 | 推奨レベル |
|---|---|---|---|
| 東ルート | 約168km | 函館山・駒ヶ岳を望む穏やかな海岸線 | 初級〜中級 |
| 西ルート | 約234km | 津軽海峡・日本海の断崖絶壁と山岳区間 | 中上級 |
| 奥尻島ルート | 約57km | フェリーで渡る離島一周コース | 中級 |
東ルート(約168km)は、函館山や駒ヶ岳といったランドマークを望みながら、比較的穏やかな内浦湾(噴火湾)や函館湾沿いを走行するルートです。新函館北斗駅や函館空港からのアクセスが良好で、初めてどうなん海道サイクルルートに挑戦する方にとって最適なエントリーポイントとなっています。
西ルート(約234km)は、津軽海峡の荒波と日本海の断崖絶壁が続くダイナミックな海岸線が最大の魅力です。松前峠などの山岳区間も含まれるため、中上級者向けの冒険的な要素が強く、風の影響を受けやすいエリアでは自然との対話が求められます。
奥尻島ルート(約57km)は、フェリーで日本海を渡り、離島特有の生態系と「奥尻ブルー」と称される透明度の高い海を巡る一周コースです。島の復興の記憶にも触れることができる、8の字サイクリングの中でもひときわ特別な体験を提供しています。
ルートのキャッチフレーズである「歴史と風景を巡る」は、道南地域が北海道の中で最も長い和人の定住の歴史を持つことに由来しています。アイヌ文化と和人文化の交差点、北前船による交易の繁栄、そして幕末の箱館戦争という日本近代化の転換点の舞台が、ルート上に次々と現れます。サイクリストはペダルを回す行為を通じて、地理的な距離だけでなく時間的な距離をも旅することになるのです。
函館エリアの見どころ:幕末ロマンと異国情緒あふれるサイクリングの起点
五稜郭と土方歳三の足跡を自転車で巡る函館の旅
函館は、どうなん海道サイクルルートの核心部であり、日本初の国際貿易港としての華やかな歴史と、旧幕府軍の終焉という悲劇の記憶を併せ持つ都市です。その象徴が特別史跡「五稜郭」です。星形の洋式城郭として設計されたこの要塞は、慶応4年(1868年)に榎本武揚率いる旧幕府軍が占拠し、蝦夷地領有を宣言した「箱館戦争」の舞台となりました。
この地で特筆すべき人物が、新選組副長・土方歳三です。京都での活躍を経て北の大地へ渡った土方は、箱館市中の警備や防衛戦の指揮を執り、その鬼神の如き戦いぶりは敵味方を問わず畏敬の念を抱かせました。彼が最期を迎えたとされる「一本木関門跡」付近(現在の若松緑地公園)には「土方歳三最期の地碑」が建てられており、今も多くのファンが献花に訪れています。五稜郭タワーのアトリウムに設置されたブロンズ像とともに、ルート沿いにある称名寺や碧血碑など、箱館戦争ゆかりの史跡を自転車で巡ることは、歴史の敗者たちが抱いた義と誇りに触れる巡礼の旅となります。
函館山の夜景と元町教会群が織りなす異国情緒
サイクリングの拠点となる函館山は、かつて要塞として一般の立ち入りが禁止されていた場所ですが、現在は世界三大夜景の一つとして広く知られています。標高334mの山頂から見下ろす夜景は、津軽海峡と函館湾に挟まれた市街地がくびれた砂州の上に輝くという、独特の地形美を映し出しています。
山麓の元町エリアには、旧函館区公会堂やハリストス正教会、カトリック元町教会などの西洋建築が建ち並び、石畳の坂道とともに異国情緒あふれる景観を形成しています。特に八幡坂は、坂の上から函館港を一望できるフォトスポットとして人気があります。これらの坂道を自転車で巡る際は電動アシスト自転車の利用が推奨されるほどの急勾配ですが、坂の上から海を見下ろす風景は、その労力に十分見合う感動を与えてくれます。
北斗・木古内エリア:トラピスト修道院の静寂と新幹線アクセスの利便性
函館から国道228号を西へ進むと北斗市に入ります。このエリアで最も印象的なスポットが、静寂の中に佇む「トラピスト修道院」です。明治29年(1896年)に創設された日本初の男子トラピスト修道院へ続く道は、約800mにわたるポプラとスギの並木道になっており、まるで欧州の田舎道のような景観を作り出しています。この直線道路は海からの風を防ぐ役割も果たしており、サイクリストにとっては絶好のフォトスポットです。
修道院の売店で提供される「トラピストソフトクリーム」は、敷地内の工場で生産される発酵バターを使用した濃厚でコクのある味わいが特徴です。長距離走行のエネルギー補給としても最適で、名物のトラピストバターやクッキーも修道士たちの労働と祈りの結晶として高い評価を得ています。
さらに西へ進むと、北海道新幹線の駅を有する木古内町に到着します。道の駅「みそぎの郷 きこない」は、レンタサイクルの貸し出しや、特産品である「はこだて和牛」を使用したコロッケなどのグルメを提供する観光拠点です。木古内駅は新幹線を利用した「輪行」の拠点としても重要な役割を果たしており、ここから道南の旅をスタートさせるサイクリストも少なくありません。木古内町は寒中みそぎ祭りで知られるように厳しい自然環境と共生する文化が根付いており、ここから先は津軽海峡の荒波に沿って南下し、風と地形の変化が激しい区間へと突入します。
松前エリアへの道のり:北海道最南端の白神岬と城下町を目指す8の字サイクリング
知内・福島の険しい海岸線を越えるサイクリング
知内町から福島町、そして松前町へと続く国道228号は、山地が直接海に落ち込む険しい地形が連続する区間です。数多くのトンネルとアップダウンが特徴であり、サイクリストの脚力と精神力が試される難所となっています。特に青函トンネルの北海道側出入口がある知内・福島エリアは、鉄道技術の粋を集めた場所であると同時に、道路環境としては道幅の狭いトンネルが存在するため、高輝度のリアライトの常時点灯や反射材の着用といった安全対策が不可欠です。
白神岬:北海道最南端に立つ達成感
数々のアップダウンを越えた先に待っているのが、北緯41度23分に位置する北海道最南端の地「白神岬」です。ここからは津軽海峡を挟んでわずか約19km先に青森県の竜飛崎を肉眼で確認することができます。本州と北海道が最も接近するこの場所は渡り鳥の主要な中継地としても知られており、春や秋には数万羽の鳥たちが海峡を渡る壮大な光景を目にすることができます。岬に立つ灯台の白さと海の深い青さのコントラストは鮮烈で、ここまでの険しい道のりを走破したサイクリストに深い達成感を与えてくれます。
松前城と松前本マグロ:北海道唯一の城下町で味わう極上グルメ
白神岬を回り込み西へ進むと、北海道唯一の城下町である松前町に到着します。町のシンボル「松前城(福山城)」は、幕末の1854年に築城された日本式城郭の最後期の建築であり、戊辰戦争の戦火をくぐり抜けた歴史を持っています。春には城跡公園内に約250種1万本の桜が咲き誇り、1ヶ月以上にわたって花見が楽しめる「桜の里」としても有名です。
食の面では「松前本マグロ」がサイクリストの最大の楽しみとなります。津軽海峡で一本釣りされるクロマグロは、対岸の大間産と同じ群れであり、極上の脂乗りと濃厚な旨味が特徴です。町内の寿司店や食堂では獲れたてのマグロを使った丼や定食が提供されており、疲労した体に良質なタンパク質と幸福感をチャージすることができます。藩政時代から伝わる「松前神楽」などの無形文化財も色濃く残っており、松前の町を歩けば至る所に歴史の息吹を感じることができます。
江差エリアの魅力:北前船の栄華と「いにしえ街道」を巡るサイクリング
追分ソーランラインで日本海の絶景を走る
松前町から北上し、上ノ国町を経て江差町へ至るルートは、通称「追分ソーランライン」と呼ばれています。日本海に面するこの区間は年間を通じて強い西風が吹き付けることが多く、サイクリストにとっては試練となる場面もありますが、同時に海岸線の奇岩怪石や海に沈む夕日といった絶景を生み出す要因にもなっています。上ノ国町の「夷王山(いおうざん)」からは、中世の山城跡とともに日本海の大パノラマを一望でき、歴史と自然が融合した壮大な風景を満喫することができます。
江差「いにしえ街道」の歴史散策と開陽丸の悲劇
「江差の五月は江戸にもない」と謳われたほど、かつてニシン漁と北前船交易で繁栄を極めた江差町は、道南の歴史文化のハイライトです。国道から一本入った「いにしえ街道」には、当時の問屋建築や蔵を利用した街並みが再現されており、電線類が地中化された美しい景観の中を自転車で散策することができます。
この通りにある「旧中村家住宅」は、近江商人の典型的な商家建築で、重要文化財に指定されています。また、現在も住居として使われながら一部が公開されている「横山家」は、網元の暮らしを伝える貴重な遺構です。横山家では食事処も併設されており、名物の「ニシンそば」を味わうことができます。江差のニシンそばは京都のものとは異なり、かつて地元で大量に獲れたニシンを保存食とした歴史的背景を持っています。濃いめの出汁と甘辛く煮付けた身欠きニシンの相性は抜群で、その素朴で力強い味わいは北前船が運んだ文化の香りを今に伝えています。
江差港の沖合には、幕末の旧幕府軍旗艦「開陽丸」が復元・展示されています。開陽丸は当時最強の蒸気帆船でしたが、明治元年に暴風雪により江差沖で座礁・沈没しました。この事故により榎本武揚らは制海権を失い、箱館戦争の敗北が決定的になったとされています。船内は資料館として公開されており、海底から引き揚げられた大砲や生活用品など数万点の遺物が展示されています。榎本武揚が沈みゆく船を見て涙を流したというエピソードとともに、訪れる者の胸を打つ歴史空間となっています。
さらに江差ではユニークな体験プログラム「貰いモッコ」が実施されています。「モッコ」とはニシンを運搬するための背負い箱のことで、参加者はこれを背負って通りを歩き、当時の労働者の苦労と喜びを追体験します。かつて労働者が現物支給としてニシンを受け取っていた歴史に由来するこのプログラムは、単なる観光を超えた深い文化体験を提供しています。
奥尻島サイクリング:フェリーで渡る「奥尻ブルー」の離島を一周する旅
奥尻島へのアクセスと一周約66kmの絶景コース
奥尻島へは、江差港またはせたな町の瀬棚港からハートランドフェリーを利用して渡ることができます。自転車はそのまま積載可能で、約2時間の船旅を経て島に上陸します。船上からは遠ざかる北海道本島の山並みと近づいてくる奥尻島の緑豊かな島影を望むことができ、旅の非日常感が一気に高まる瞬間です。
奥尻島は一周約66km、獲得標高約680mという、1日で回るのに手頃ながらも走りごたえのあるコースを有しています。島の海は「奥尻ブルー」と称される独特の透明度と深い青色を湛えており、海岸線を走るだけで心が洗われるような爽快感を味わえます。
コース上の見どころとして、島のシンボルである「鍋釣岩(なべつるいわ)」は外せません。ドーナツ型に穴が空いたこの奇岩は、鍋の弦に似ていることから名付けられ、自然の造形美を象徴しています。島の北端にある「賽の河原」や、島最高峰に近い「球島山展望台」からは360度の大パノラマが広がり、天候が良ければ対岸の北海道本島まで見渡すことができます。
奥尻島のウニと奥尻ワイン:離島ならではの食の楽しみ
食の観点から見た奥尻島の主役は「ウニ」です。島のキャラクター「うにまる」が象徴する通り、夏(主に5月から8月)にはキタムラサキウニが旬を迎えます。島内の食堂で提供されるウニ丼は、ミョウバンを使わない塩水ウニがたっぷりと盛られ、その濃厚な甘みと磯の香りは他の産地とは一線を画す絶品です。島内で醸造される「奥尻ワイン」も評価が高く、海の幸とのペアリングを楽しむことができます。
奥尻島に刻まれた震災復興の記憶
一方で、奥尻島は1993年の北海道南西沖地震と津波により甚大な被害を受けた場所でもあります。青苗地区にある「奥尻島津波館」では、震災の記憶と復興の歩みが展示されており、防災の重要性を後世に伝えています。サイクリング中に目にする高い防潮堤や避難路、人工地盤の上に再建された集落は、島の人々が自然の脅威と向き合いながら強く生きてきた証です。美しい風景の中に刻まれた歴史の重みを感じながら走る奥尻島一周は、8の字サイクリングの中でも特別な体験となります。
なお、奥尻島一周における最大の注意点は、西海岸(神威脇から稲穂岬方面)の補給環境です。東側の集落を離れると商店や自動販売機が数十キロにわたって存在しない区間が続きます。西海岸は断崖絶壁と海に挟まれた区間であり、事前の水分・食料の確保が不可欠です。風を遮るものがないため、強風時の走行には十分な注意が必要です。
どうなん海道サイクルルートの走行環境と安全対策
8の字サイクリングのベストシーズンと気象条件
どうなん海道サイクルルートのサイクリングシーズンは、雪解け後の4月下旬から10月下旬までです。春は桜、夏は新緑とウニ、秋は紅葉と味覚といった季節ごとの魅力がありますが、気象条件には注意が必要です。北海道の春と秋は朝晩の気温差が激しく、ダウンジャケットやウインドブレーカーなどの防寒装備が必須となります。日本海側は年間を通じて風が強いため、向かい風の中での走行は体力を著しく消耗させます。風向きを考慮したルート計画、たとえば風を背に受ける方向に回るといった工夫が推奨されます。
トンネル走行の安全対策と必携装備
どうなん海道サイクルルートの西海岸、特に国道228号には多数のトンネルが存在します。照明が暗い場所や歩道が狭く車道を走行せざるを得ない箇所もあるため、安全対策の徹底が求められます。高輝度フロントライト(400ルーメン以上推奨)とリアライトの常時点灯、反射ベストやタスキの着用は、推奨ではなく必須の安全対策と考えるべきです。大型トラックやバスの通行もあるため、無理な走行は避け、待避所を利用して後続車を先に行かせるなど余裕を持った走行が求められます。
補給計画と宿泊についてのポイント
ルート上には約20kmから40km間隔で道の駅やコンビニエンスストアが存在するエリアが多いものの、松前町から江差町にかけての一部区間や奥尻島の西海岸などは補給ポイントが極端に少なくなります。ボトルは2本携行し、エナジージェルや羊羹などの補給食を常に携帯しておくことが重要です。
宿泊に関しては、函館、松前、江差などの主要都市にはホテルや旅館が充実しています。自転車を客室に持ち込める「サイクリスト歓迎」の宿も増えており、予約時に自転車の保管場所について確認しておくことで安心して旅を楽しむことができます。
野生動物への注意も忘れずに
北海道全域と同様に、道南エリアもヒグマの生息域です。特に早朝や夕暮れ時、山間部のルートを走る際は遭遇のリスクが高まるため、熊鈴を鳴らしたりラジオを携帯したりして人間の存在を知らせることが重要です。エゾシカやキタキツネが道路に飛び出してくることも珍しくないため、下り坂などスピードが出る場面では常に周囲の状況に注意を払う必要があります。
内陸ルートで函館へ帰還:どうなん海道8の字サイクリングの完結
江差から函館へ戻るルートは、国道227号を経由して内陸部を横断します。ここで立ちはだかるのが、渡島と檜山の境界をなす「中山峠」です。峠を越えた先に広がる厚沢部町(あっさぶちょう)は、メークイン(ジャガイモ)発祥の地として知られ、穏やかな田園風景が広がっています。道の駅「あっさぶ」では地元の野菜を使った料理や新鮮な農産物を手に入れることができ、海沿いとは異なる北海道の農業景観を楽しむことができます。
厚沢部を抜けて大野平野へと下っていくと、旅の終着点あるいは結節点となる新函館北斗駅が見えてきます。ここに戻ることでどうなん海道サイクルルートの8の字は完結します。時間と体力に余裕があれば、さらに足を延ばして「大沼国定公園」へ向かうのもおすすめです。秀峰・駒ヶ岳を湖面に映す大沼・小沼の風景は古くからリゾート地として親しまれており、湖畔を一周するサイクリングコースも整備されています。
どうなん海道サイクルルートで出会う道南の物語
どうなん海道サイクルルートは、単なる移動経路ではなく、道南地域の歴史・文化・自然が凝縮された壮大な物語です。函館の異国情緒から始まり、トラピスト修道院の静寂、松前の武家文化、江差の商家の誇り、そして奥尻島の離島の暮らしまで、ペダルを回すたびに景色とともに文化のグラデーションが変化していきます。
8の字を描くこのルートは、一度の訪問ですべてを知ることが難しいほどの深みを持っています。東の海を眺めるとき、西の風に挑むとき、島時間に身を委ねるとき、それぞれに異なる道南の表情と出会えます。函館、松前、江差、奥尻島という個性豊かなエリアを自転車でつなぐどうなん海道サイクルルートの旅は、何度訪れても新たな発見に満ちた、かけがえのない体験をサイクリストに届けてくれるでしょう。








