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奈良県の明日香村では、飛鳥時代の古墳や寺が村のあちこちに離れて点在しているため、自転車で巡る旅行者が多く見られます。近鉄飛鳥駅の近くにはレンタサイクルの店があり、石舞台古墳や高松塚古墳、キトラ古墳などを1日でいくつも回るなら、1500円の電動自転車が役に立ちます。村内には坂もあり距離もあるので、回る範囲は体力と日程を考えて決めておく必要があります。
古墳のほかにも、飛鳥寺や甘樫丘、用途のわからない巨石など見どころがそろっています。方墳と八角墳の両方が村内に残っているので、古墳の形の違いを実物で見比べられるのも明日香村の特徴です。

明日香村のレンタサイクルは飛鳥駅の近くで9時から17時まで営業
自転車を借りる場所は、近鉄飛鳥駅のまわりに集まっています。代表的な店が「明日香レンタサイクル」で、駅から歩いて約3分の本部(御園)と、亀石営業所の2か所で受け付けています。どちらも営業時間は9時から17時です。
| 種類 | 料金 |
|---|---|
| 自転車(平日) | 900円 |
| 自転車(土日祝) | 1000円 |
| 電動自転車 | 1500円 |
| 原付 | 2000円 |
| 乗り捨て(追加料金) | 1台につき200円 |
| 配車(追加料金) | 1台につき200円 |
駅前にはもう1軒、約500台をそろえる「レンタサイクル万葉」もあり、村内にはこのほかにも貸し出しをしている店がいくつかあります。料金も営業時間も変更される場合があるので、出かける前に店へ問い合わせておくと安心です。
1日の古墳めぐりは午前に石舞台、午後に高松塚とキトラを回る
自転車での1日プランとして知られている例は、朝のうちに飛鳥寺と石舞台古墳を訪ね、昼からは高松塚古墳とキトラ古墳へ足をのばし、日が傾くころに甘樫丘展望台へ上るという流れです。
半日しか取れない人には、明日香村の公式ガイドが「スタンダードコース」を用意しています。バスも使いながら、石舞台古墳、高松塚古墳と壁画館、岡寺、飛鳥寺を半日で巡る内容です。
石舞台古墳は石室がむき出しになった国内最大級の方墳
石舞台古墳は、四角い墳丘をもつ方墳のなかでも国内で最大級の規模を誇る古墳です。古墳を覆っていたはずの盛り土がすっかり失われ、花崗岩で組まれた玄室が地上に姿を見せています。舞台のようなこの外見が、名前の由来になりました。
数字を挙げると、石室の長さは19.1メートルあります。玄室の大きさは、高さが7.7メートル、幅が3.9メートル、奥行きが7.6メートルです。使われた巨石は30数個で、いちばん大きな天井石だけで約77トン、全体では約2300トンに達すると推定されています。築造の時期については、7世紀初め頃とする推定があります。
石舞台古墳へバスで行くなら、近鉄の橿原神宮前駅か飛鳥駅から奈良交通の明日香周遊バスに乗り、「石舞台」で降りると石舞台古墳はすぐ目の前です。自転車なら、飛鳥駅周辺の営業所で借りて、そのまま村の中を走って石舞台古墳へ向かえます。
被葬者は蘇我馬子という説が有力
葬られた人物については、飛鳥時代最大の豪族だった蘇我馬子とする説が有力です。もっとも、被葬者はまだ確定していません。馬子の庭園が近くにあったことが、この説を支える根拠の一つになっています。
江戸時代の文献にも、この古墳は登場します。本居宣長は1772年の『菅笠日記』で、南に位置する都塚古墳と対をなす古墳として書き留めました。その後1829年に、津川長道が「卯花日記」の中で、馬子の墓ではないかという見方を示しています。
馬子の墓と結びつけられる背景には、蘇我氏の大きな権勢があります。蘇我氏は稲目、馬子、蝦夷、入鹿と4代続いて栄えた一族で、推古天皇とは外戚の関係にありました。馬子は父の稲目から大臣の地位を受け継ぎ、50年以上にわたって政治の中心に立ち続けました。仏教を受け入れる動きにも深く関わった人物です。
横穴式石室の造りを間近で観察できる
石舞台古墳の見どころは、土が失われて石室が露出しているため、横穴式石室の構造をそのまま目で確かめられる点にあります。横穴式石室とは、墳丘の中に石を積んで造った横向きの埋葬施設のことです。遺体を安置する玄室と、そこから墳丘の外へ抜ける通路の羨道からできています。
入口をふさいだ石を外せば中へ入り直せるため、あとから別の遺体を葬る追葬ができました。日本では古墳時代中期初頭にあたる4世紀後葉に現れ、6世紀の後期に入ると広く築かれるようになりました。
それより前の竪穴式石室は、墳丘のてっぺんから真下へ穴を掘り、遺体を入れたら蓋石で閉じて土で覆う仕組みで、一度ふさいだら二度と開けられませんでした。
石舞台から南へ約400メートルの都塚古墳は階段ピラミッド形
石舞台古墳を見たら、南南東に約400メートル進んだ先の都塚古墳まで足をのばせます。所在地は明日香村阪田です。6世紀後半の築造とされる方墳で、石を積んだ段が5段以上重なる、階段ピラミッドのような形をしています。
大きさは東西41メートル、南北42メートルで、高さは4.5メートル以上あります。2013年度から2014年度にかけて明日香村教育委員会と関西大学が共同で調べた結果、墳丘の外側が石積みの多段築になっていることがわかりました。遺体を葬る場所は横穴式石室で、中には家形石棺が置かれていたことも報告されています。墳丘のまわりからは、幅1メートルから1.5メートルの周濠も見つかりました。
2017年には、国の文化審議会がこの古墳を史跡に指定するよう答申しました。「金鳥塚」という別名もあり、毎年元旦に金の鶏が鳴くという伝説が地元に残っています。
飛鳥寺の拝観料は大人350円、亀石と酒船石は見学自由
飛鳥寺は、推古天皇4年(596年)に蘇我馬子が建てた、日本で最初の本格的な寺院です。本尊は「飛鳥大仏」という呼び名で知られる仏像です。拝観料は、大人が350円、中学生と高校生が250円、小学生が200円です。
亀石は、川原地区の田んぼの中にぽつんと置かれた花崗岩の石造物です。重さは推定で40トンもあり、何のために造られたのかはわかっていません。亀ではなくカエルを表しているという説まであります。
酒船石は大きな岩で、長さが5.5メートル、幅が2.3メートル、厚みは1メートルほどあります。表面には皿のようなくぼみと溝があります。酒造りなどに使ったという推測がありますが、本当の用途は判明していません。亀石も酒船石も、自由に見学できます。
高松塚古墳は飛鳥駅から約1キロで、壁画館も同じ公園にある
高松塚古墳は、飛鳥駅から歩いても行ける距離にあります。奈良県の案内によると、駅から高松塚方面までは約1キロ程度で、道の傾斜もゆるやかです。ただし古墳へ続く小道には、道幅が狭く通りにくいところもあります。そうした場所では自転車に乗ったまま無理に進まず、降りて押すなどの配慮が要ります。
この古墳は直径23メートルの円墳で、墳丘が二段になっています。築かれたのは藤原京の時代(694年から710年)です。1972年に石室の中から壁画が見つかりました。発掘は明日香村が村史を編さんする事業の一つとして行われ、奈良県立橿原考古学研究所と関西大学が担当しています。
壁画は1974年に国宝となりました。2020年3月に修復作業が終わり、現在は修復施設の中で保存されています。
国営飛鳥歴史公園の高松塚周辺地区で壁画の模写を見る
古墳のまわりは、国営飛鳥歴史公園の高松塚周辺地区として整えられています。公園全体は約60ヘクタールで5つの地区に分かれており、高松塚周辺地区はそのうち9.1ヘクタールを占め、高松塚古墳を中心に据えた地区です。
地区の中には2つの施設があります。国営飛鳥歴史公園館では、飛鳥の史跡についての紹介を見られます。高松塚壁画館には、壁画の原状模写、石室を実物大で再現した模型、副葬品のレプリカが並んでいます。
キトラ古墳は飛鳥駅から徒歩約20分、四神の壁画が残る円墳
キトラ古墳は、飛鳥駅から歩くと約20分かかる場所にあり、自転車ならそれほど時間をかけずに着けます。直径約14メートルの小さな円墳で、埋葬施設には横口式石槨が使われています。
石槨の壁には四神と十二支の像、天井には天文図が描かれています。四神とは、天と地の四つの方角を守る神獣のことで、東を青龍、西を白虎、南を朱雀、北を玄武が受け持ちます。キトラ古墳でもこの決まりどおり、北の壁に玄武、東に青龍、西に白虎、南に朱雀が配置されています。
壁画の存在がわかった時期は2回に分かれます。1983年に北壁の玄武が、1998年に東壁の青龍、西壁の白虎、天井の天文図が確認されました。
壁画には新羅や隋・唐とのつながりが見える
十二支の像は、朝鮮半島の新羅の墓にも例が見られます。四神像と天文図のほうには、隋や唐の影響が見られるとされます。
古墳を造る場所も、中国の風水で理想とされた四神相応の地、つまり南側が開けた土地を意識して選ばれたといわれます。壁画全体の組み立ては、陰陽五行思想に基づいていることがわかっています。この壁画が国宝になったのは、2019年7月23日です。
「四神の館」での2026年の壁画公開は3面
キトラ古墳壁画体験館「四神の館」では、壁画が公開される期間があります。第41回にあたる2026年の公開では、朱雀、玄武、青龍の3面が展示されました。見学料は無料で、公開時間は9時30分から16時30分まで、最終受付は16時15分でした。
この公開期間中、壁画の見学は事前予約制でした。一方で、地階の展示室は申し込みなしで無料で入れました。公開の時期も条件も毎年同じではないので、出かける前に文化庁や公式サイトの最新の案内を確かめてください。
牽牛子塚古墳は斉明天皇陵の可能性が高い八角墳
明日香村越にある牽牛子塚古墳は、八角形の墳丘をもつ国の史跡です。飛鳥駅からは歩いて10分で着きます。
平成21年から22年にかけての発掘調査で、古墳時代終末期の八角墳だと判明しました。これにより、第37代斉明天皇(第35代皇極天皇と同じ人物)の陵だった見込みが強まったとされます。ただし宮内庁は、斉明天皇と間人皇女の陵墓を、高取町にある車木ケンノウ古墳(越智崗上陵)と定めています。
墳丘は向かい合う辺の間が約22メートルあります。土を突き固める版築という技法で築かれ、墳丘の表面は凝灰岩の切り石で覆われていたこともわかりました。隣にある越塚御門古墳とまとめて整備が進められ、造られた当時の姿に戻す復元工事が令和4年3月に完成しています。問い合わせ先は明日香村教育委員会です。
版築は土を何層も叩き締める工法
版築(はんちく)とは、土を薄い層にして突き固め、それを積み重ねていく昔ながらの工法です。京都の東寺にある築地塀を調べた例では、5センチから10センチほどの厚みで土を重ね、一層ずつ固く叩き締めていました。古代から、土壁や建物の基礎を丈夫に造るために使われ、城壁や道路、家屋にも応用されています。
八角墳は7世紀後半に天皇家だけが使った形
八角墳とは、7世紀後半の天皇陵に見られる、八角形の墳丘をもつ古墳のことです。八角形の考え方は道教などの中国思想から来ており、八つの方角で国土の全体を表すとされます。天皇の権威を示す形として取り入れたという見方もあります。
天皇陵の形は、前方後円墳から大型の方墳へ、さらに上八角下方墳を経て八角墳へと移り変わりました。古墳の規模は小さくなりましたが、天皇家のほかにこの形を使った例はありません。
いちばん古い例は、奈良県桜井市にある段ノ塚古墳です。舒明天皇の陵とされ、上が八角形で下が四角形の上八角下方墳になっています。明日香村の野口王墓は天武天皇と持統天皇の陵とされ、外から見ると円墳に近いものの、八角墳だったと推測されています。八角墳に眠るとされる天皇は、舒明、天智、天武、持統、文武の各天皇です。ただ、どの古墳を誰の陵とみるかには諸説あります。
梅山古墳は宮内庁が欽明天皇陵とする前方後円墳で、見学は周辺から
明日香村平田にある梅山古墳は、墳丘の長さが約140メートルある前方後円墳です。宮内庁はこの古墳を第29代欽明天皇の陵(檜隈坂合陵)としています。宮内庁が管理しているため拝所が設けられていて、古墳そのものには入れず、まわりから眺める形になります。学術的な調査は行われておらず、本当に誰が葬られているのかははっきりしていません。
鬼の俎と鬼の雪隠は一つの石槨だった
梅山古墳の近くには、「鬼の俎」「鬼の雪隠」と呼ばれる2つの石造物があります。どちらも古墳の石室に使われた石材とされ、宮内庁は欽明天皇陵の陪塚として扱っています。2つは本来、同じ古墳の石槨だったようです。いまは離ればなれで、鬼の雪隠のほうは鬼の俎から20メートルほど先の、道より低い場所に置かれています。
名前の由来は、鬼が旅人を捕まえて俎の上で料理し、雪隠で用を足したという言い伝えです。
吉備姫王墓では猿石を見られる
梅山古墳の南西に接する吉備姫王墓は、猿石が置かれていることで有名です。吉備姫王という人物は、欽明天皇から見て孫にあたり、皇極天皇と孝徳天皇の母、天智天皇と天武天皇の祖母でもあります。この一帯の石造物は、多くが何のために造られたのか解き明かされていません。
治定と陪塚は宮内庁による位置づけ
治定(じじょう)とは、宮内庁が陵墓に葬られた人物を定めることです。政府の答弁では、古い記録の記述や地元に伝わる口碑、現地での調査を合わせて判断してきたとしています。いったん定めた治定を改めるには、陵誌銘のような確かな証拠が必要というのが政府の立場です。被葬者は特定できないものの皇族が眠っている可能性がある場所については、宮内庁が陵墓参考地として管理しています。
陪塚(陪冢)とは、主な陵墓に付き従うものとして宮内庁が位置づけている古墳のことです。鬼の俎と鬼の雪隠は、この陪塚の例にあたります。
前方後円墳は鍵穴形をした日本独特の古墳
前方後円墳とは、円形の主丘に四角い壇のような部分が付いた、鍵穴のような形の古墳です。日本にしかない墳形とされています。この呼び名は、江戸時代に蒲生君平が『山陵志』で「前方後円」という言葉を使ったことから広まりました。
大型の古墳は、ほとんどがこの形です。前方後円墳は古墳時代が始まるのと同時に登場し、近畿地方では6世紀後半ごろには造られなくなりました。その後も円墳と方墳は築かれ続けます。
円墳は円形、方墳は四角形を基本にした古墳で、古墳全体の中では円墳がもっとも多く造られています。
村全体が歴史的風土保存地区に指定され、景観が守られている
自転車で走っていて古代の面影を感じられるのは、明日香村の風景が法律で守られているからです。土台になっているのは、昭和41年に公布された古都保存法(古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法)と、昭和55年に制定された明日香法(明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備等に関する特別措置法)の2つです。
明日香法によって、村の全域が歴史的風土保存地区になりました。地区は2種類に分かれます。第1種は現状を変えることを厳しく抑える地域で、面積は125.6ヘクタールです。第2種は住民の暮らしとの調和を図りつつ、大きく現状を変えることを抑える地域で、面積は2278.4ヘクタールあります。
昭和55年8月18日には、明日香村歴史的風土保存計画を内閣総理大臣が決めて公示しました。住民の生活を安定させるために、奈良県が整備計画をつくり、明日香村整備基金などの仕組みも設けられています。
秋は彼岸花と稲穂、9月下旬には「飛鳥光の回廊」がある
季節で選ぶなら、秋の明日香村は彼岸花と実った稲穂が見られる時期です。稲渕地区の棚田は真っ赤な彼岸花に彩られます。9月下旬になると毎年、夜に明かりをともすイベント「飛鳥光の回廊」が行われます。
彼岸花の時期は人出が多くなるため、早めに着くようにして、公共交通を使うと動きやすくなります。冬は、霜が降りた石造物が趣深いといわれます。
まとめ:明日香村の古墳めぐりは飛鳥駅の近くで自転車を借りて始まる
明日香村の古墳は村内に離れて点在しているので、飛鳥駅の近くで自転車を借りて巡る旅行者が多く見られます。複数の古墳を1日で回るなら、電動自転車が役に立ちます。








